先日大先輩の娘さんが第一志望の大学に合格して入学されました。おめでとうございます。それで先輩と話していて感じた事。それは教育について。

その娘さんは、私もよく知っていて小学1年生の頃から見ていますが、1つの競技をずっと続けていました。どちらかといえば、大学でも男子がメインで、女子のチームは皆無。クラブチームは存在しているのは目にします。

高校でもチームは数えるくらいですが、高校でもチームのパイオニアとなり、超難関大学の看板学部に現役合格を果たしました。

さあ、これから競技も続けるのでしょうが、どんな大人になるのかなと楽しみでしたが、お父さんがおっしゃるには、その大学で女子の部を作る活動をするという事を聞いてさすがに驚きましたが、ありえるなとも感じました。

その伝統ある大学のその部は日本を代表する伝統校。そんな伝統ある部に女子の部を作ることにチャレンジするという事です。それはそれは非常に高いハードルです。さまざまなプレゼンをしたり、目上の方との面談や交渉が待ち構えているでしょう。想像すら出来ません。

でもそれをやろうと行動すると言うことが、どんなに尊い事か。達成するしないは関係なく行動出来る事こそ教育の目的と改めて感じました。もちろん何もできないですが、陰ながら応援したいですし達成して欲しいです。

今は教育ということに対し、社会全体が萎縮しているように感じます。ああいえばダメとか外野の圧力が良いものを潰し、突き抜けようとする子供を押さえつけたりしていては、潰されてしまう子も多いと思います。それか学校では諦めて表面上付き合っているか。身近ににそんな子供を見てきていたので。

単に知識を植え付ける、技術を身につけさせるというよな教育も大切だとは思います。

でも無いものを作り出すというチャレンジする土壌はそんなことで作れるのでしょうか。

そんな人材を輩出する土壌が日本中にあれば、チャレンジして失敗が財産という社会風土が

当たり前にならないと、この日本の閉塞感は拭けれない。若い有能な人材が潰されるか、流出してしまうか。

結果を出すために、なりふり構わずに行動するという子供達や学生が次々に生み出される社会を作るために、大人がいるという事を改めて感じた出来事でした。